オーストラリアからの引っ越しの記録2

前回の投稿から日が経ってしまいましたが、なんとか生きています。

その2ということで、何を書いておこうかと思いましたが、日本での新居選びもたいへんなものでした。

帰国月も3月ということで、日本は転勤や就職のシーズン、ペット連れなんてウィークリーマンションにまず入れない部分もありましたので、オーストラリアからリモートでの契約になり、帰国後数日で新居に移動できました。実質、これは正解でした。

私自身の単身であれば、適当なウイークリーマンションにでも滞在しながらとりあえず一人暮らし用の家なんて拘らなければいろいろとあるわけですが、家族+ペットとなると非常に厳しいものでした。

またオーストラリアで住んでいた社宅もタウンハウスな一軒家でしたので、荷物が入らないという事態も考えられましたので、それなりの広さの家…なかなかネット越しでの部屋探しはたいへんでした。

第一にバジェット(予算)、大きさ、ペット可の物件、通勤の利便性、、、いろいろと条件を入れるとほぼほぼ数件のレベル。特に「ペット可」の条件は致命的でした。それほど日本はペットフレンドリーではないようです。

そんなわけで帰国日の3月に対して家さがし的なことは11月くらいからボチボチしていましたが、そんな早い時期には物件もあるわけないのですが、実際のところはやはり2月くらいだったかと思います。

問合せフォームにかたっぱしから入れて連絡をとりましたが、いずれの不動産屋も「ご本人が来店しないと何もできない」とまた、教科書通りの回答であり、仕方ないと思いつつも、まぁ、融通がきかんなと感じずにはいられませんでした。

その中で某大手不動産店では、ネット越しでの打ち合わせも親切に対応いただき、最後までここにお世話になったというところです。

ということで、別送品の引っ越し荷物もようやく日本に到着した様子。かれこれ1か月以上かかりました。
いくら新居とはいえ、不完全な状態でまだまだ地に足がついていない状態。家財道具が到着しましたので、ようやく落ち着きを取り戻すことが出来るかと浅はかな期待をしています。


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# by JM3EHG | 2018-04-21 21:02 | 雑談 | Comments(0)

オーストラリアからの引っ越しの記録1

以下、私の記憶の整理まで。


3月17日に帰国しましたが、予想通り?日本の規律正しい生活に、厳しいリハビリ活動となっています。

別送品の家財道具もまだ到着せず(4月20日頃到着の予定)、まだまだ地に足がついていない状態です。

あれよあれよと、Xデー(メルボルンを離れる日)を迎えたわけなのですが、これまで送る側の人間だった者が、いよいよ自分が帰国する身となると感慨深いものになりました。とはいうものの、いつまでも感傷に浸っているわけにもなりません。

2011年の赴任当時のまま、私自身だけの帰国であれば、何ら問題ないはずだったのですが、6年の間に大きく変わってしまいました。
私+嫁+娘+犬というフルコースです。

特に犬の移動はなかなかのツワモノではありましたが、1月頃から情報収集を開始、農林水産省の検疫所と何度かやり取りをしながら、プラチナチケットもとい、輸入許可書をゲットしたわけであります。
単純に移動だけでなく、出国前と入国後のペットホテル、移動用のケージ、空港からの移動手段の手配とこれも大変でした。


メルボルンでの引越も単に荷物のコンポ―でしょ?なわけでもなく、電化製品の類はほぼほぼ電圧の違いで使用不可ですので、日本に持ち帰っても単なるゴミと化しますので、大型家具とともにこれらもシコシコとセカンドハンドサイト(ガムツリー)で転売しまくりました。

自家用車も曲者だったのですが、こちらも何とか私のアウトバックと嫁のコルトは無事に嫁ぎました。

引越に並行して、公共料金の最終支払いの手配、銀行関係の整理、日本への送金手配、保険関係の解除などなど、絶対にどこかに漏れがありそうですが、奇跡的に出国前にすべて完了できました。


記録2に続きます。



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# by JM3EHG | 2018-04-09 21:15 | 雑談 | Comments(0)

2368日

なんとか…日本に帰ってきました。

小さな目標ではあるのですが、「家族全員を安全に帰国させる」というのが私の使命でもありましたので、何とか事故、怪我なく家族が日本の地を踏めたことは良かったです。慣れない生活がこれから(すでに)始まりますが、こればかりは徐々に慣れていくしかないですね。

今日は帰任イッパツ目の報告、挨拶ということで6年ぶりの元職場に訪問してきました。

調べてみると2011年9月23日に日本を出国して、2018年3月17日に帰国したわけですので、これ計算すると「2368日」なんですね。
たったの「2368日」なのか、そんなにの「2368日」か、微妙な部分でもあるのですが、個人的には、そんなもんやったのか、、、な感想です。

とはいうものの、この2368日は非常に凝縮されたものでありいろいろな物事が思い出されます。

今までは、帰りの日程を気にしながら、日々の献立(今日は吉牛、明日はインディアン…)を考えていたのですが、もうそれも考える必要がないとなると、それはそれでなんだか変な感じです。もういつでも好きなものを食べれます(笑)

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# by JM3EHG | 2018-03-19 23:23 | 雑談 | Comments(0)

さらば、オーストラリア。

このタイトルももう何回書いたかと思うのですが、ついにといいますかこの日を迎えることになりました。
2011年9月にキャセイ便でメルボルンに赴任して以降、6年が過ぎましてこの度、日本への帰任となりました。

前回のペダルラジオネタ以降はといいますと、
航空チケットの手配から始まり、オーストラリアでの引越段取りから、家財道具、自家用車(2台)の売却処分、ペットの犬を帯同しての帰国であるための検疫書面作成、日本の新居手配、家族の保険関連の手配、公共料金のクローズ、現地銀行から日本への送金、免許関連の住所変更、領事館への届け出、日本側の役場への必要書類確認、準備などなど、てんこ盛りの内容でした。

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(写真は自宅から車で30分程度のセントキルダビーチからの夜景。こういう風景も気軽に見れなくなると思うと、それはそれで名残惜しいです。)


これまで大阪、札幌、名古屋と回り、ついに海外進出!という中でのメルボルンへの赴任、つらいこともあり、楽しいこともありと、たくさんの思い出が出来ました。この辺はまた落ち着いたら書きたいと思います。

これまでは20代前半から後半のまさに脂の乗った感じでしたが、29歳で海外出向を経験させていただき、ネイティブな英語に世界にどっぷり、日本とのギャップの差に戸惑う部分があったものの多くのことを学ぶことが出来たかと思います。

プライベートなハナシにもなりますが、当地で結婚、そして新しい命も授かることが出来、まさに人生の中での大きなイベントも経験できました。間もなく、メルボルンを家族全員で離れ、6年ぶりに日本に帰ります。赴任当時の初々しい気持ちを忘れずに日本でも新たな一歩を踏み出したいと思います。

さらば、オーストラリア。
たくさんの思い出をありがとう。



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# by JM3EHG | 2018-03-15 21:37 | 雑談 | Comments(2)

ペダルラジオを求めて…RFDS Visitor Centre Kalgoorlie-Boulder

私のライフワークの一つとして、オーストラリアにおける無線の歴史を調べるのがあるのですが、その中でIconic的なものとして「ペダルラジオ」というものが存在しています。

これはビクトリア州出身のエンジニア、Mr Alfred Herman Traegerが発明したとされるもので、特に電気などが満足にないオーストラリアのアウトバックなどでは1960年代前半までは非常に重要な装置でした。

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まさに、アーノッツのビスケット缶(オーストラリアでは有名な菓子メーカ。TIMTAMのメーカでもある。)に腰かけてペダルラジオを操作しているこの写真です。(引用:http://www.3squadron.org.au/subpages/peel.htm)

文献などでは、この「pedal radio」についての写真は見ることが出来るのですが実物はいまだに見たことがありません。
今回、出張でWA州のカルグーリを訪問した際、空港に隣接する形でRFDS(Royal Flying Doctor Service)のビジターセンターに実物が展示されていることを知り、帰る飛行機の待ち時間を利用して訪問することができました。

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たまたま、私が訪問した際に見学ツアーが始まったところやけど参加する?と言われたので、ペダルラジオは後のお楽しみということでツアーに参加…。1935年製のハンガーが現役で物持ちの良さがわかります。
そして内部は暑い…。当然ながら空調はありませんので、内陸部の独特な暑さでした。

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この日は幸いにも緊急出動がなかったため、ハンガーには2機のピュラタス機が駐機しておりました。
もともとはビジネスジェットではありますが、特にキャビンは大幅に改造がされており患者用ベッドなどが機能的に搭載されていました。
最近、最大の積載容量を大幅に上げる改造を行ったようですが過去の搬送した最大の重さは約250キロの体重だったそうです…


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このピュラタスも空港だけではなく、農道や自動車道、砂漠地帯にも離発着ができるとのこと。

で、いきなりですが、ペダルラジオの登場です…。
さりげなくそしてひっそりと展示もとい置かれていました。なんだか隣のミニFAXなのか怪しい80年代の端末で雰囲気がややぶち壊し感も否めないのですが、まさにコレが念願の実物です。

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ビジターセンター内の区画のほぼ半分をこれらの歴史ある無線機群で占めているのですが、いかんせんそのまま置いている感じでせっかくの展示物も…。オーストラリアらしいと言えばらしいです。


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そもそも「Royal Flying Doctor Service」というのは世界的に見てもユニークなサービスであり、広大なオーストラリア大陸の医療を支えるうえで非常に重要な取り組みです。遠隔地をエクスプローラー(探索)するなどし鉱山資源開発を進めてきたわけでありますが、当然、そのような何もない場所で突然、病に倒れるなどした場合、このペダルラジオを用いてRFDSの救援を求めるという、使われ方がなされていたわけです。

また、RFDSのような医療面だけでなく、遠隔地など学校に通うことが出来ない(要は遠すぎて)子供たちに対して、アリススプリングやブロークンヒルなどから、School Of The Air(SOTA)という形で無線で授業をするなどでもこのペダルラジオが使われていた記録がありました。

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上は業務用HF機では有名なオーストラリアのメーカ、Codanの前身であるELICO社の通称"ランチボックス"と呼ばれるHF帯の無線機です。
おもにSOTAなど遠隔地に住む居住者の教育向けや、遠隔地の診療所向け(緊急時にRFDSを呼び出す)にガバメントを通じて配布されたもので、周波数も選択するのみで、だれでもが使えるように簡単なセットになっています。左側の空洞部分にイヤホンやマイク、またアンテナワイヤーなどが収納できるものです。

いかにして当時はまだ電気などインフラもままならない広大なオーストラリア大陸での医療サポートを行うかという部分でRFDSの活躍、またそれの唯一のコニュニケーション手段として、"ランチボックス"に代表されるユニークな無線装置、そして電気の発電という部分でのペダルラジオの発明など、オーストラリアの無線史を調べていくうえでこれらは欠かせない存在であることが改めてわかりました。

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# by JM3EHG | 2018-02-27 22:29 | オトナの社会見学 | Comments(0)


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